東日本大震災3月15日 [育児]
震災生活をカメラで撮ろうかなとも思った
でも
なぜか行動には移せなかった。
どうでもいいやと思ったのかもしれない。
海沿いの友達が生きていた
自衛隊にヘリコプターで救助されたらしいと
社員にきいた。
いろんな人が訪ねてきてくれた。
個室で私はずっと寝ていた。少しでもお産を伸ばしたいと思った。
電気はついた
プロパンはだせる
でも
まだ、水が出ていない。
夜9時陣痛が始まった。
誰にも言わなかった。嘘であってほしかった。
10時夫に言った。
11時半
救急車に電話した。
雪が降っていた。
放射能が入っているからあたるなと
言われていた。
救急車が緊急病院に電話をして受け入れてくれた。
そう
今月初めまで入院していた総合病院に。
個人病院は被災地のため
音信不通。
陣痛5分おき。
箱根隊員の救急車だった。
改めて今は震災中なんだと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月16日
0時
「あらぎんぎんさん。まだ生まれてなかったの?」
みんな知ってる人だった。
先生は言う。
「今、飛び込み出産が問題になってるんだよ(--〆)
●●クリニックさんは連絡付かなかったの?」
「ハイ・・・」
陣痛さなか説教気味。でも受け入れてくれるだけ、ましかも。
暖房なしで、この病院も煙突が傾いて
病院半分が立ち入り禁止。
ここでも死ぬか生きるかの状態だった。
お産がなかなか進まない。
いつもはすぐでてくるのに。
午前1時58分
出産。
「異常廻旋と臍の緒がまきついていたのよ」
すぐ母乳。
待ってましたとばかりに吸ってくれた
「あら。状況わかってるのねえ」
そして
足にマジックで母親の名前を書かれた
夫は赤ちゃんの顔を見て帰宅。
でも
なぜか行動には移せなかった。
どうでもいいやと思ったのかもしれない。
海沿いの友達が生きていた
自衛隊にヘリコプターで救助されたらしいと
社員にきいた。
いろんな人が訪ねてきてくれた。
個室で私はずっと寝ていた。少しでもお産を伸ばしたいと思った。
電気はついた
プロパンはだせる
でも
まだ、水が出ていない。
夜9時陣痛が始まった。
誰にも言わなかった。嘘であってほしかった。
10時夫に言った。
11時半
救急車に電話した。
雪が降っていた。
放射能が入っているからあたるなと
言われていた。
救急車が緊急病院に電話をして受け入れてくれた。
そう
今月初めまで入院していた総合病院に。
個人病院は被災地のため
音信不通。
陣痛5分おき。
箱根隊員の救急車だった。
改めて今は震災中なんだと思った。
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3月16日
0時
「あらぎんぎんさん。まだ生まれてなかったの?」
みんな知ってる人だった。
先生は言う。
「今、飛び込み出産が問題になってるんだよ(--〆)
●●クリニックさんは連絡付かなかったの?」
「ハイ・・・」
陣痛さなか説教気味。でも受け入れてくれるだけ、ましかも。
暖房なしで、この病院も煙突が傾いて
病院半分が立ち入り禁止。
ここでも死ぬか生きるかの状態だった。
お産がなかなか進まない。
いつもはすぐでてくるのに。
午前1時58分
出産。
「異常廻旋と臍の緒がまきついていたのよ」
すぐ母乳。
待ってましたとばかりに吸ってくれた
「あら。状況わかってるのねえ」
そして
足にマジックで母親の名前を書かれた
夫は赤ちゃんの顔を見て帰宅。
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